幸せに死ぬために

地中海に面し、温暖な気候の中東の国、イスラエル。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地です。今ここで、再び戦闘が起きています。民族の違いによる争いは終焉を得ません。心のよりどころである宗教がもめごとの一旦を担っていることに心苦しく思います。しかし、私では想像のできない根強い信念が誰も望まぬ争いへと導かれているのかもしれません。遠く離れた中東の惨事がこれ以上拡大しないことを望みます。

こんな世界規模の話ではなくとも、私たちの身の回りでも、いざこざはあります。価値観の違いが引き起こすもめごとは解決が難しいです。双方に言い分があり、どちらも正しいと思っているからです。例えば、トマトに塩をかける人とソースをかける人では意見が合いません。美味しさの基準は個々によって違うから、どうしても合意できません。とってもちっぽけな話です。でも、どちらもトマトが好き、あるいは苦手ではないということは言えます。同じものが好きであれば、食べ方はどうでもいいのです。お互いに違う意見を聞いて、そうなんだと受容し、自分とは違うことを認めれば、柔和に話は進んでいきます。身近な平和が世界平和につながると思っているので、私は違う意見も受容してきたいと思います。

とは言っても、なんでもかんでも受容していたのでは心が持たないことも出てくるでしょう。気の流れが滞ってしまいます。自分自身の世界には誰も入ってくることはできないので、トマトにソースをかけて美味しいと納得すればいいのです。他人を傷つけること以外は自分の好きなように今を幸せに生きたらいいのです。最近聞いた講演会で死について考えるお話がありました。年齢を重ねて旅立つことは自然のことである、明るい死生観を持ちましょうと話されました。幸せに死ぬ方法は幸せに今を生きることだとありました。幸せに生きるために世界平和を願います。